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大阪地方裁判所 昭和53年(ヨ)5345号 決定 1979年3月31日

申請人

(選定当事者)

井尻充亮

外四名

右法定代理人親権者

井尻勝

外四名

井尻紀子

外四名

右申請人ら代理人

宮崎乾朗

外六名

被申請人

岡部商事株式会社

右代表者

岡部利男

右代理人

太田忠義

外三名

被申請人

鹿島建設株式会社

右代表者

石川六郎

右代理人弁護士

三宅一夫

外三名

主文

申請人らが共同して七日以内に被申請人らに対し一括して金二〇〇〇万円の保証をたてることを条件に、被申請人らは、別紙目録(一)記載の土地上に建築中の同目録(二)記載の建物について、地上六階を超える部分の建築工事をしてはならない。

申請人らのその余の申請を却下する。

申請費用は被申請人らの負担とする。

理由

(申請の趣旨)

被申請人らは、別紙目録(一)記載の土地上に建築中の別紙目録(二)記載の建物について、地上四階(高さ11.4メートル)を超える部分の建築工事をしてはならない。

(当裁判所の判断)

一本件疎明資料及び当事者らの各審尋結果を総合すれば、次の事実が一応認められる。

1  申請人らは、いずれも大阪市南区南綿屋町一二番地所在の大阪市立道仁小学校に在学する総数一五一名(第一学年二一名、第二ないし第四学年各二四名、第五学年二八名、第六学年三〇名)の児童のうち一四〇名である。

道仁小学校は明治六年現在地に開設された大阪市内でも有数の古い歴史を有する小学校であり、その鉄筋コンクリート造三階建校舎は戦前の建築に成るもので(北側校舎は昭和二年、西側校舎は昭和一一年に完成)、戦災を免れ現在に至つているが、従来から地区住民の協力や理解により校舎、校庭とも十分に日照が確保されてきた等の事情もあつて、敷地が狭隘であることを除き、都会地としては比較的良好な学校施設として機能してきた関係上、申請人らはかかる学校環境の下で今日に至るまで教育を受けてきたものである。

被申請人岡部商事株式会社(以下、被申請人岡部商事という。)は、道仁小学校の南西に所在する別紙目録(一)記載の土地(実測面積577.93平方メートル、以下本件土地という。)を所有し、同地上に別紙目録(二)記載の建物(以下、本件建物という。)を建築してこれを「ロイヤルコーポ鍛冶屋町」と命名してマンシヨンとして分譲することを計画し、昭和五三年三月二二日大阪市に対し建築確認の申請をなし、同年五月一七日右確認を受け、同年六月被申請人鹿島建設株式会社(以下、被申請人鹿島建設という。)と本件建物建築工事の請負契約を締結し、同被申請人によつて、同月九月下旬頃右工事に着手し、現在四階部分の躯体工事を完成させている。

2  本件建物は左記のとおりの規模、内容を有するのに対し、道仁小学校はその敷地上に前記三階建の校舎とプールをもち、その残りの敷地部分が校庭をなすもので、これら施設の配置関係及び校舎の構造、利用状況は別紙図面(二)のとおりであり、本件建物と道仁小学校との位置関係は別紙図面(一)のとおりである。

(一) 規模・構造

鉄筋コンクリート造地上九階塔屋一階、北に面して各階に廊下、南に面して各室にバルコニー設置

(二) 総戸数

住居三〇戸、店舗三戸

(三) 建築面積

321.23平方メートル

(四) 建築延床面積

2306.81平方メートル

(五) 高さ

26.15メートル(但し、塔屋部30.95メートル)

(六) 長さ

東西二二メートル

(七) 奥行

南北14.1メートル(但し、エレベーター及び階段設置部分16.8メートル)

3  本件建物が完成すると、道仁小学校の校舎、校庭、プールは、右図面(一)からも明らかなように当然日照阻害を受けることになるが、校舎、校庭については最も日照確保が要求される冬至時点において、プールについてはその利用期間の関係から右期間中で最も太陽高度の低い九月一〇日時点において、それぞれこれを検討すると次のようになる。

(一) 校舎に対する日照阻害

日の出から午前八時前頃までは全く影響を受けないが、同八時を過ぎると西側校舎の南側一階ないし三階の開口部に影響を受けはじめ、同九時には右開口部はすべて日影となり、同一〇時には右開口部の全部と同校舎東側の一階ないし三階の南寄り三分の一の開口部が、同一一時には同校舎南側開口部全部と東側一階ないし三階の開口部の南寄り二分の一が、それぞれ日影となり、正午には右南側及び東側開口部の全部と北側校舎一階の西寄り部分に同校舎の長さの約一〇分の三弱の長さで日影が生じるが、開口部には殆んど影響はなく、午後一時には北側校舎一階の西寄りの五個の開口部と二階西寄りの二つの開口部の一部が、同二時には同校舎一階のほぼ中央部から東寄りにある九個の開口部と二階の中央からやや西寄りにある二個の開口部の一部が、同三時には同校舎一、二階の東寄り各六個の開口部と三階の四個の開口部の一部がそれぞれ日影となる。

ところで、正午を過ぎると太陽が西に移動するため、西側校舎の南側開口部は午後二時頃から徐々に日照が回復するが、同校舎東側開口部は全て同校舎自らの影となり日没に至るまで日影となる。また北側校舎も午後一時頃から、その西寄り部分から徐々に西側校舎の影響を受けはじめ、同三時以降は本件建物による日影と相まつて、その一、二階の大部分の開口部は日没に至るまで殆んど日影となる。

(二) 校庭に対する日照阻害

午前一〇時に東南の一部(全校庭の一〇〇分の一、以下日影を割合で示す場合は校庭の全面積に対するものをいう。)に日影が生じはじめ、右日影は、同一一時には一〇分の一に、正午には四分の一にと徐々に広がり、同一時には西側部分に二分の一弱の、同二時にはほぼ中央部分に五分の三の、同三時には東側部分に五分の三余の各日影が生じ、同四時にはこれが三分の二に広がる。もつとも、右日影に西側校舎の校庭に及ぼす日影を加えると、午後二時には一〇分の七余が、同三時には一〇分の九がそれぞれ日影部分となり、同四時以降は殆んど全体が日影部分となる。

ところで、同校庭には別紙図面(一)に示すとおりその周辺に藤棚や数本の樹木があるほか、鉄棒、つり輪、登り棒、ろく木等の運動具或は遊具及び砂場が存在するため、運動場としての有効利用面積はかなり狭められるから、右日影部分の占める割合は、実際にはより大きくなるということができる。

(三) プールに対する日照阻害

午前八時三〇分過ぎからプール西側部分に日影が生じはじめ、これが徐々に東側部分に移動するのであるが、午前九時には五分の二弱が、同一〇時には五分の三余が、同一一時には五分の四余が、正午には一〇分の九(但し、プール水面は全部)がそれぞれ日影となり、その後は徐々に日照が回復されるものの、午後一時にはなお四分の三が、同二時には二分の一余が、同三時には三分の一弱がそれぞれ日影となる。

4  道仁小学校は、日曜祭日等の休日および夏期冬期の休暇を除き毎日午前七時三〇分に開門され、午後五時一五分に閉門されるが、その間午前八時四〇分から午後三時(但し、第一ないし第三学年のいわゆる低学年は午後二時五分、なお土曜日はいずれも午後零時二〇分)まで一科目につき四〇分ないし四五分間の学習時間(同校では右学習時間を「校時」と呼び、第一回目から順次一校時、二校時と呼んでいるので、以下右呼称に従う。)で一日六校時(但し、低学年は五校時、なお土曜日はいずれも四校時)の予定で時間割表が組まれている。申請人らはいずれも義務教育の享受者として右時間割表に定められている授業を受けるべく毎朝午前八時過ぎ頃から三三五五登校し、午後三時過ぎ頃の退校時まで正規の授業を受けるため同校にとどまつている。加うるに、道仁小学校の校区内には公園、緑地、児童遊園等の公共的広場が全く存在しないばかりか(同校区内大宝寺町東之丁には大阪府立南高等学校グラウンドが存するが、一般開放はなされていない。)、神社、寺院等民有地としての公開空地も全く見当らず、かつ路上には自動車が充満しているため、放課後遊ぶ場所に恵まれない申請人らのために、道仁小学校では後記体育施設開放事業制度を一歩進め、放課後においても午後四時までその校庭を運動または遊びの場として提供していることもあつて、申請人らの大部分は通常の日には午後四時まで右校庭を使用して運動或は遊びに興じている。

このように申請人らは、一日のうち、その活動時間の大半を道仁小学校で過しているのであるが、そのうち校庭は、月曜日の一〇分間の朝礼、正規の授業としての体育と時々行なわれる屋外での理科、図工の他前記各校時の間(いわゆる遊び時間)の一〇分ないし二〇分間(同校ではこれを遊歩時間と呼び、できるだけ校庭に出るよう指導している。)、昼食後四五分間の休憩時間並びに右放課後における一時間の遊び、自由運動にそれぞれ利用されている。また、道仁小学校においては正規の体育として水泳を採用し、毎年六月下旬から九月中旬にかけてこれを実施しているが、実施基準として水温が摂氏二二度以下、気温が摂氏二五度以上で、水温と気温の差が摂氏五度以内と定め、一週につき各学年とも三校時(低学年は一三時間、高学年は一四時間)、原則としていずれも午前中に実施するよう時間割が組まれている。

ところで、道仁小学校では、大阪市教育委員会の実施する「大阪市小中学校体育施設開放事業」の一環として、同校の体育施設のうち校庭を毎土曜、日曜及び祭日のいずれも午後一時から同四時まで、プールを毎年七月中旬から八月初旬まで午前九時から正午まで一般に開放している。

このように同校の校庭、プールは申請人ら児童のみならず一般地域住民にも広く利用され、それだけその公共的性格を強めている。

5  被申請人岡部商事の所有する本件土地は、東は東横堀川、西は堺筋の手前、南は道頓堀川、北はもと長堀川に至る手前の末吉橋筋で囲まれ、北に右長堀川に副つて存在する鰻谷東之町、大宝寺町東之丁、南に右道頓堀川に副つて存在する大和町、そしてその間に東から西へ順次存在する問屋町、竹屋町、南綿屋町、鍛冶屋町の七つの町で構成された東西約四〇〇メートル、南北約七〇〇メートルのいわゆる道仁地区(道仁小学校の校区とも一致する。)のほぼ中央に位置し、東横堀川の上を走る阪神高速道路環状線道頓堀出口から西へ約二六〇メートル、堺筋から東へ約一〇〇メートル、市営地下鉄堺筋線長堀橋駅からでも南南東へ約三六〇メートルしか隔つておらず、いわゆるミナミの繁華街、歓楽街からも数百メートルの至近距離にある交通至便な場所である。なお、右地区は、建築基準法上の商業地域から防火地域に属し、容積率四〇〇パーセントの指定を受けている。

6  本件土地は、建築基準法上建ぺい率一〇〇パーセント、容積率四〇〇パーセントの指定を受けているものであるところ、本件建物は建ぺい率55.58パーセント、容積率399.15パーセントで全戸とも南からの日照を確保できるよう設計されている居住用(一部店舗)マンシヨンである。被申請人岡部商事が本件建物を右のとおり建ぺい率55.58パーセントで建築したのは、一応大阪市建築局の、居住用マンシヨン建築については、その敷地にできるだけ余裕建築空間をとるようにとの指導によるものであるが、全戸南向きの設計は、快適な住居を提供するということの反面高価格販売による同被申請人の最大限の企業利潤追求という面を否定しえない。従つて同被申請人としては、企業利潤の追求を多少犠牲にし、例えば本件建物を建ぺい率一〇〇パーセントにし、電気室や塵置場等の附属建物及び駐車場を地下に設置すれば、同一規模(同戸数)で地上五階建の建物を建築することは可能であり、仮に右が事実上或は工法上不可能だとしても、建ぺい率を多少上げ、地下駐車場等を設置すれば、同一規模で地上六階ないし七階建の建物を建築することは十分可能である。

一方申請人ら児童は、小学校教育が義務教育とされている関係上学区制によつて好むと好まざるとに拘らず、その重要な成長期にあたる一年ないし六年間道仁小学校で教育を受けなければならず、その結果他に転居しない限り、より良い学校環境を自ら求めて他に転校することは不可能である。ところで、道仁小学校では、かつて校舎屋上を自転車の交通訓練の場として使用したり、庭園として植物の裁培に使用したりしていたこともあつたので、これを従来のごとく体育施設等の一部として利用することも考えられないこともないが、屋上のかかる使用は戦前の建築にかかる校舎の老朽化に伴う雨漏りの原因となることや児童に対する安全管理の面から支障があり、従つてプールを屋上に設置することなどは到底不可能な状況にある。まして体育館も日照享受という面からすれば、運動場の代用となるものでないこと論を俟たない。

以上によれば、被申請人岡部商事は本件建物の階数を減ずることにより道仁小学校に及ぼす日照阻害を回避しうるのに対し、申請人らは、道仁小学校において前記南高等学校グラウンドのごとき運動場等をとくに求めない限り、本件建物によつて蒙る日照阻害を回避する方法はない。

二1  前認定のとおり申請人らは道仁小学校に在籍する児童として、一年ないし六年間休日を除く毎日午前八時過ぎ頃から午後四時頃(但し、土曜日は午後零時二〇分)までの約八時間、すなわち一日の活動時間の殆んどを同校で過ごし、また休日や夏期冬期の休暇等にもその開放制度を通じて校庭(夏期にはプールを含めて)を利用していることからすれば、本件建物の完成により道仁小学校の蒙る被害につき排除の請求をなしうることについてはまず問題はないであろう。

ところで申請人らは、本件建物が完成すれば、日照阻害の他電波障害、風害が発生し、また本件建物からの危険物、塵埃等の落下物によつて道仁小学校の環境が侵害されると主張するが、未だ右主張を認めるに足る疎明はない。

2  そこで、本件建物の完成により道仁小学校の蒙る前記日照阻害が、申請人らにとつて受忍限度内のものであるか否かにつき検討する。

(一) 戦後、憲法第二六条がすべての国民に公教育を受ける権利を保障したことに対応し、「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」(教育基本法第一〇条第二項)が教育行政の任務であることが明記されるに至つた。もつとも、右教育の条件整備の意義および範囲については見解が対立していることは周知のとおりであるが、すくなくとも学校施設、学校制度、教員配置その他通学、費用等教育に必要な物的、制度的な条件、いわゆる教育の外的事項が右条件に含まれることについては異論がない。そこで、学校教育法は学校設置基準の制定義務を規定し(もつとも、幼稚園、高等学校、大学等については右設置基準が既に制定されているにもかかわらず、義務教育学校たる肝心の小学校、中学校については未だに制定されていない。)、学校教育法施行規則はこれを受けて、その第一条第一項で「学校は、その学校の目的を実現するために必要な校地、校舎、校具、運動場、図書館又は図書室、保健室その他の設備を設けなければならない。」と学校の施設設備の設施基準を定め、つづいてその第二項で「学校の位置は、教育上適切な環境に、これを定めなければならない。」と学校の設置場所につき定めている。このことからも明らかなように学校教育は、かかる施設設備を備え、かつ良好な学校環境の下においてはじめて十分な効果を発揮しうるものである。学校教育のうちの小学校教育は、要するに更に高度な中学校、高等学校教育を受けうるに足る素質、能力を養うことを目的とする(学校教育法第一七、一八条、第三五、三六条、第四一、四二条)ものといえるが、右は自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民を育成することにつながるものであつて、小学校教育とはその素地を養ううえで最も重要なものということができる。心身とも未成熟な小学児童にとつて学校施設設備の整備、良好な学校環境が特に必要である所以である。そして、学校教育における体育は、各種の運動を適切に行わせることによつて心身の機能の発達を促し、健康維持、体力向上をはかるとともに、各種の運動技術を習得させ、運動する際に要求されるルールやマナーを体得させ、これを日常生活においても活用し、教科外の自由時間も有意義に過ごすことができるようにし、成人になつてからも健康で安全な生活を営む習慣や態度を育てることを目標として行われるべきものである。かかる意味において、学校施設とりわけ校庭(運動場)は、一般住居の庭と同列に論ずることはできず、校舎等の学校施設と一体をなすものとして、その機能を十分に発揮できるよう維持、確保されなければならないものである。

そこで、かかる観点から本件建物の道仁小学校に対する前記日照阻害の程度を考察すると、まず校舎については、その構造及び利用状況に照らすと現況をそれ程変更するものとはいえず、なお学校施設としての校舎の機能を有しているとみれるが、校庭については、午前中はさておき、午後からの日影状況からすれば、現況を大幅に悪化させるものということができ、もはや学校施設としての運動場の機能を有しているとはいえないであろう。さらに、校庭は、右の如き正規の体育科授業の基礎施設としてだけでなく、本件においては、前記の如く遊歩時間、昼休み、放課後、休日等においても申請人ら個人の自由な遊びの場として利用されていることも無視することができない。またプールについては、プールの水温低下が予想されるうえ、プール利用者からかなりの日照を奪うことになるものであり、学校施設としてのプールの機能をなお有しているものといえるかは疑問である。

(二) 疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

本件土地の存する道仁地区は、いわゆる上方文化の発祥地である通称「船場・島之内」のうちの島之内に属し、職・住一体の生活環境から醸し出される独特の商人文化を形成し、現在もなおこれを保持している残り少ない地域の一つであり、このうち鍛冶屋町筋と周防町筋の交差する周辺地帯は右町名からも窺えるように江戸時代中期頃から金物の問屋街として栄えてきた。従つて同地区内の住民には今なお祖先から受け継いだ「島之内」意識が根強く、昭和三九年に東大阪市にいわゆる金物団地が誕生した際もその大半は同地帯に残留し、その後交通事情の悪化等のため配送センターを郊外に移転せざるをえなかつた店でも、本社機能だけはあくまで右地帯に置いているような次第である。これは当該住民の同地区に対する共通した愛着、郷愁によるものであつて、地区住民の同地区に対する定住性は非常に強いものということができる。

このような地区住民の定住性が反映してか、右地区が大阪市のいわば都心部に位置しながら、その地域性において次のごとき特異な現象を呈している。すなわち、右地区は、道仁小学校の北側を走る周防町筋が幅員約一二メートルと最も広いが、それ以外の各町の間を走る道路はいずれも幅員が約六ないし八メートルと狭く、個人の所有土地もその大部分が昔ながらの細分化されたままの状態で存し、同地区に現存する建物の状況も道仁小学校の東側綿屋町筋に面して八階建(水上金属ビル)、七階建(周防町ビル)、八階建(横田商店ビル)の建物が密着した状態で存在し、また右各建物から八幡筋を越えた同じく綿屋町筋に八階建の建物(大塚マンシヨン)が、周防町筋と清水町筋との間の鍛冶屋町筋に六階建の建物が、鍛冶屋町筋と周防町筋とが交差する北西角に七階建の建物が、道仁小学校の南側で八幡筋を隔てた八幡筋、鍛冶屋町筋、三津寺筋、綿屋町筋に囲まれた地区に六階建の建物が、清水町筋と周防町筋との間の竹屋町筋に六階建の建物が、その他二、三同程度の建物が散在する他は、高い建物でもせいぜい四、五程度に止まるうえ、その大部分は二階建の木造建物であり、随所に古い軒並みを残している。前記のとおり、同地区は堺筋の西側に存するいわゆるミナミの繁華街、歓楽街から至近距離にあるものの、右堺筋をはさんで街の様相は少なからず異なり、そのふん囲気もミナミ地区に較べれば可成り落着いており、殊に大和町などは古くからの旅館街であつて今なお閑静さを保つている。また同地区に存在する建物のうち事業所専用の建物は全体の五パーセントにも満たず、他はすべて住居専用か住居兼事業所併用の建物である。殊に道仁小学校及び本件土地の存在する東西が綿屋町筋と鍛冶屋町筋に、南北が八幡筋と周防町筋に囲まれた区域(街区)についてみれば、道仁小学校の西側鍛冶屋町筋に四階建及び三階建の建物が、本件建物の東側と西側の八幡筋に四階建の各建物が、それぞれ存在する他はすべて木造二階建の建物であり、同校南側には現在駐車場として利用されている空地も存在する。そしてこれら建物も一戸の事業所専用建物(道仁地区集会所)を除いて他はすべて住居兼事業所併用建物か住居専用建物であり、いわゆる昼夜人口の差も通常の都心部に比して大きくはなく、同区域は高い建物でせいぜい四階止りのいわば低層建物の立ち並ぶ職住併存区域ということができる。これは前記同地域の特殊性によることもさることながら、右各土地所有者が道仁小学校を良好な教育の場として残存させんがための配慮によるもので、右各所有者は将来とも右同様の配慮から同地上には四階を超える建物を建築する意思のないことを表明している。このような同地区の地域性の特殊性はまた同地区に対する容積率指定にも現われている。即ち同地区は昭和四四年に前記のとおり容積率四〇〇パーセントの指定を受けたが、以降現在に至るまで右指定に変更がないところ、道路事情において差異のない他の商業地域(例えば堺筋を西へ越えた東清水町、千年町、玉屋町等)が容積率五〇〇パーセントの指定を受けているのである。

なお、大阪市が、同市の町づくりに関するマスタープランとして、計画初年度を昭和五一年、目標年次を一五年後の昭和六五年に設定して長期的展望に基づき策定した「大阪市総合計画概要」(基本構想編)によると、御堂筋を中心に西側の四ツ橋筋、東側の堺筋に至る地域を「都心業務商業地区」として、業務商業施設の有機的集約立地、機能向上をはかるとしているが、道仁地区は僅かではあるが堺筋のさらに東側にあるばかりでなく、都心業務商業地区なる概念も必らずしも明確ではなく、右総合計画自体何ら具体的な制度的裏付けを伴つたものではない。仮に、今後何らかの制度的裏付けがなされたとしても、前記のように同地区の特殊性に照すと、大規模な再開発事業、建物高層化が急速に進展するとは考えられない。

以上のとおり一応認められ、これら諸点を総合勘案すれば、少なくともここ一〇年ないし二〇年は右地区の地域性に著しい変化は生じないものとみるのが相当であろう。

(三) 前記のとおり被申請人岡部商事は昭和五三年三月に本件建物の建築確認申請をし、同年五月に右確認を受け、また被申請人鹿島建設も同年六月に本件建物の建築工事を請負つておりながら、いずれも同年六月下旬頃道仁小学校側に本件建物の建築計画を知られるまでは、右建築につき何ら事前の説明も行わず、同月下旬頃から右当事者間及び被申請人らと周辺住民との間で再三もたれた説明会や話し合いの場においても、また当裁判所の審尋の場においても、被申請人岡部商事は一貫して企業採算がとれぬという理由だけから、本件建物の設計変更には一切応じられない(もつとも本件建物は当初の設計から七五センチメートル南側に後退して建築されているが、この点についても何ら説明がなされなかつた。)と主張するのみで、本件建物が道仁小学校に及ぼす影響については、これを一考だにしなかつた。とくに同年一〇月以降にもたれた説明会には被申請人岡部商事からは誰一人の出席者もなかつた。ところで被申請人岡部商事のいう右企業採算とは、本件建物の建築のために要した本件土地購入資金及び建築工事代金等を本件建物を分譲することにより賄うというもので、このためには本件建物を設計どおり完成させ、これを全戸売却してはじめて可能であるのに、設計変更に応ずることは直ちに売却戸数の減につながり、右土地購入資金等の回収ができなくなるばかりか、本件建物は二戸を除きその余は既に売約済みであるから、これが一部解約せざるをえなくなることに基づく違約金等の支払い等により、同被申請人は倒産を免れないというものである。しかし右売約戸数の点は、同被申請人が一部これを捏造していることが窺われ、こうまでして最大限の企業利潤の計上に固執する同被申請人の態度は疑問なしとしない。

このように本件建物建築につき、被申請人ら、とくに被申請人岡部商事のとつてきた態度は終始不誠実と非難されてもやむを得ないものであつた。

右(一)、(二)、(三)の他、前記認定にかかる本件建物および道仁小学校の使用目的、加害者および被害者の被害回避の可能性の有無、被申請人岡部商事の本件土地利用の仕方等を併せ考慮すると、本件建物がその完成により道仁小学校に及ぼす日照阻害は、教育の場としての同校の環境を著しく破壊するものであつて、同校の児童である申請人らにとつてはその受忍限度を超えるものといわざるをえない。

三そこで、進んで道仁小学校に対する日照阻害がどの程度回復されれば、申請人らにとつて受忍限度内のものといえるのかという点につき検討する。

疎明資料によれば、いま仮に本件建物を四階建(高さ12.35メートル)に設計を変更すると、道仁小学校に対する日照阻害は大幅に改善される。これを冬至時点についてみれば、校庭は午後三時頃までその約二分の一が、校舎は西側校舎の南側開口部全部と東側開口部の西寄りの約五分ノ二以外はいずれも日照を確保され、また九月一〇日時点のプールも夏至時点の日影状況から推測すれば、かなりの部分日照が確保されることが窺える。もつとも校庭の右日照は三時を過ぎれば西側校舎の校庭に及ぼす日影と複合し、午後四時にかけて殆んどなくなる。

ところで、本件建物を七階建に設計変更しても、道仁小学校に対する日照阻害は九階建の揚合と殆んど変化はないが、これを六階建に設計変更すれば、冬至時点において、校庭は午後二時頃にその日影が校庭の約二分の一に達し、以降同四時にかけ西側校舎の校庭に対する日影と複合してその殆んどが日影となるが、校舎は午後三時頃までは北側校舎に影響を及ぼさず、また春秋分時点においては校庭はその南側に僅かな日影が生ずる他は終日日照が確保され、これはプールと同様本件建物を四階建とした場合と殆んど変らないものであることが一応認められる。

このように本件建物を四階建にすれば、道仁小学校は従前どおりの良好な学校環境を維持しうるが、これを六階建にした場合には、従前どおりとはいえないまでも小学校教育の目的から要求される最小限度の学校環境はなお維持されうると考えられる。

右事実に前記認定にかかる地域性、本件土地の容積率、被申請人岡部商事の蒙むる損害等の事情を勘案すれば、申請人らは、本件建物が六階建となることによつて道仁小学校に及ぼす日照阻害をなお是認しうる限度内のものとして、受忍せざるをえないとみるのが相当である。

四本件建物が完成すると、後日その一部を撤去することは事実上不可能となるから、本件仮処分申請について、その保全の必要があることは明白である。

五以上のとおり、申請人らの本件仮処分申請は、主文第一項掲記の限度において理由があるから、これを右限度で認容し、その余は理由がないから、これを却下することとするが、前記認定の諸事情を勘案すれば、右認容部分については、申請人らに対し共同して金二〇〇〇万円の保証をたてさせるのが相当であるから、これを本決定送達の日から七日以内にたてさせることとし、申請費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条を各適用して、主文のとおり決定する。

(大沼容之 最上侃二 羽田弘)

別紙選定者目録<省略>

目録

(一) (1) 大阪市南区鍛冶屋町五〇番一

一、宅地

366.44平方メートル

(2) 右同町同番二

一、宅地

198.74平方メートル

(二) 大阪市南区鍛冶屋町五〇番地

一、鉄筋コンクリート造九階

建店舗兼共同住宅

建築面積

321.23平方メートル

建築延床面積

2306.81平方メートル

別紙図面(一)(二)<省略>

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